朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

フィールドワーク

三輪山へと伸びる謎の道?

奈良盆地の東側にある古道・山の辺の道。その南側、国内屈指のパワースポットとも噂されている三輪山・大神神社近辺には、今となっては何だかよく分からない新宗教施設やら、パンフレットなどに表記されていない神社などをちらほらと見かける。 また、許可な…

割れ目から白い蛇が現れたという「くつな石」

明日香村の阪田地区にあるという「くつな石」。何でも石を切り出そうとしたところ、割れ目から赤い血が噴き出し白い蛇が現れたという曰く付きの石らしい。蘇我稲目の墓だと言われている都塚古墳から、急勾配な坂道をだらだら歩いて「くつな石」を目指すこと…

増賀上人の墓所を訪問

「裏多武峰」という表現が妥当ではないことは重々承知しつつ、あえてこの言葉を使うのは「表多武峰」にある談山神社が観光客で溢れているのに比べると、人と会うことすらほとんどないからである。そんな場所に奇僧・増賀上人の墓がある。

中世の東大寺は「境内都市」だった

『寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民』という本の中で提示されている「境内都市」という存在。「門前町」なら聞いたこともあるのだが、「境内都市」というのはどうにもピンとこない。寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)作者: 伊藤正敏出版社/メー…

心霊スポット・耳成山を散策

大和三山の一つ・耳成山。まるでピラミッドのような均整のとれた山容だが、古代の人々から神聖視され歌も多く詠まれた天香具山や、麓に橿原神宮が鎮座する勇壮な畝傍山に比べると地味な印象は拭えない。

興福寺の栄華の跡を歩く

明治期に起こった廃仏毀釈の荒波に廃寺寸前まで追い込まれた興福寺。傍若無人っぷりが際立つ悪行が祟ったのか、カタストロフィー的な姿を現在にとどめていたのですが、今では金堂を再興するまでに寺勢を回復した様子。 仏友会/元祖仏友会/「興福寺の悪行三…

皇太子御一家の神武天皇陵参拝日だとは知らず丸山陵を再訪

一年前に訪れた「実はこちらが本当の神武天皇陵なのではないか」とされる丸山陵を再訪することにしたのだが…… wriiii.hatenablog.com 腕章をした私服警察官の方々が神武天皇陵に多数おられ完全警備状態。何やらただならぬ雰囲気。丸山陵へと行くには、神武天…

坂には市場が立つ

国道369号線を平城宮跡方面から東大寺・興福寺方面へと向かう道すがらは、なだらかな、いや結構な坂道。駅から有名企業のショップ、小さな飲食店まで大小問わず様々な商業施設がこの坂道に面している。かつて「市場」は「市庭」と表記されていたとのこと。「…

現在の河川およびその周辺は「無縁」の場か

土木技術の発達した現在、また行政区分でも楽々と「河川」をまたいでしまう現在。古代や中世に想いを馳せて河川とその周辺を「境界領域」だと捉えた網野善彦の思い描いた風景は今も存在するのだろうか。自転車や自動車など移動手段が高速化した現代でも、「…

神仏習合の様子が伺える手向山八幡宮の祭礼「転害会」

もう昨年のことになるが、東大寺三月堂の側でひっそりと鎮座する手向山八幡宮の祭礼「転害会」を見学。手向山八幡宮の宮司らしき方と、東大寺の僧侶らしき方がニッコリ笑いながら記念撮影に応じておられた様子は、まさに現代の「神仏習合」ともいえる光景だ…

日本最古の道・山の辺の道から

写真家・入江泰吉が撮影した頃の様子を今も感じることができるのは、桧原神社の周辺だけかもしれない。

オモチャの刀剣があちらこちらに突き刺さっていた念誦崛不動尊

談山神社から30分あまり西方にある増賀上人の墓の近くに、「念誦崛不動尊 コノ下」なる標識がある。「念誦崛」とは地名のこと「ネズキ」と読むらしい。

2015年の紅葉を振り返り〜等彌神社〜

まあ、振り返るほど紅葉を見に行った訳ではないのですが、撮影した写真が結構たまってきたのでブログ記事にするのことにしました。本日は等彌神社。

紅葉で有名な談山神社で去年見た「あの炎」に再び会いに行く

ちょうど去年の今頃、紅葉で有名な談山神社をとてつもなく安い折りたたみ自転車で訪れた。ライトアップされた境内にはさぞかし紅葉が美しく映えているのだろうと期待して行ったのだが、もうピークは過ぎていたのか、それともまだ早かったのか、とにかくまっ…

天理教秋季大祭を見学してきた

10月26日、石上神宮から秋季大祭で賑わう天理教本部へと向かった私。天理教の信者ではないので内心ドキドキ。幸か不幸か黒系の服は着ていたのだが……

10月26日天理教秋季大祭 その時、石上神宮は……

宗教都市・奈良県天理市にとって10月26日という日は特別な一日。天理教立宗ゆかりの日ということで秋季大祭が執り行われる。そんな日に、私は石上神宮に向かった。

龍神信仰・死の森・火の玉伝説・そしてツチノコ〜龍王山散策その二〜

目的の龍王山古墳群を散策した後、どうせならと龍王山の頂上を目指すことにした。

600基近い古墳に取り囲まれる不気味さ〜龍王山古墳群〜

奈良盆地の東麓で一番高い山だとされている龍王山。日本屈指の巨大古墳・行燈山古墳(崇神天皇陵)もこの山の斜面を利用して造築されている。 龍王山歴史と健康の道コース めっぽう寒さが増したきた早朝、そんな龍王山にあるという龍王山古墳群を見に行くこ…

コスモスの迷路・古墳・安倍晴明・安倍総理〜安倍文殊院〜

国宝・渡海文殊を本尊とすることから合格祈願の寺として有名だったのが、今や「コスモスの寺」となった感もある安倍文殊院。ホームページもなかなか洒落ていて、Googleストリートビューで境内散策できたり、電子マネーによる決済をいち早く導入している。

かつての都・藤原京跡にはコスモスが咲き誇っていたがどうにも耳成山が気になった

日本初の本格的都・藤原京。今もその6割ほどが特別史跡指定を受け、四季折々の花が楽しめる「花ゾーン」には人々が押し寄せていた。 橿原市/藤原宮跡5つの花ゾーン開花状況

パッカーン系磐座・月輪石を見に行く

田んぼが真っ黒になり始めた頃、大和三山の一つである天香久山の西方にある御厨子神社を訪問。妙法寺という吉備真備と縁があるお寺の脇にあり、何も知らずに訪れた人は多分気づかずに通り過ぎるだろうと思われるレベル。

與喜天満神社の大祭・初瀬まつりはyouたちでいっぱいだった

長谷寺の参道に入ると目に飛び込んでくるのが與喜山。その與喜山の中腹に鎮座する與喜天満神社で、「初瀬まつり」という神事があるとのことでフィールドワーク。山深き隠国・初瀬の地ながら植林山ばかりが目につく中、この與喜山は「天然記念物与喜山暖房林…

廃寺探訪〜山田寺跡〜

2015年9月19日。乙巳の変にて、従兄弟で宗家筋の蘇我入鹿暗殺の片棒を担ぎ、大化の改新時には右大臣として政権の中枢を担うも、冤罪により自害に追い込まれた蘇我倉山田石川麻呂。その蘇我倉山田石川麻呂が発願し創建された山田廃寺を訪れてみた。

600基近い古墳が密集する場

2015年9月19日。明日香村にある甘樫丘から望む畝傍山は、どこか「死の匂い」が漂っているように思えた。方角的に見て畝傍山の後方に日が沈んでいくせいもあるだろう。でも、それだけではないような気がずっとしていた。

一言で何でも言い放つ神様と有尾人と彼岸花

2015年9月19日、良い事も悪い事も何でも一言で言い放つという神様・一言主神。そんな簡潔な短文が好まれる今時の世相にぴったりな神様を祀る葛城一言主神社をフィールドワーク。

ちょっぴり命がけな葛城古道

白洲正子も愛したという葛城古道。曇天日和の9月初旬、千体地蔵で有名な九品寺から葛木坐一言主神社までの道のりを歩いてみた。

千体の石仏と彼岸花に覆い尽くされた九品寺

奈良県御所市、ハイキングコースとして有名な葛城古道沿いにある九品寺。何でも大仏造立に功績のあった行基が開基したお寺だとか(多分に伝説的な縁起だが)。

まるで囚人のように見えた猿石

飛鳥の石造物、といわれる謎の巨石群。古墳用の石室パーツの失敗作だといわれているものが多い中、 飛鳥の石造物 - Wikipedia

天武天皇の頭蓋骨が目的?

天武天皇と持統天皇が合葬されているという「野口王墓」は、学術的にみてもほぼ二天皇の合葬陵で間違いないとされている。なぜか、理由は1235年に天武天皇と持統天皇の合葬陵が盗掘に遭い、その時の記録が残っていたからである。

廃寺探訪〜大官大寺跡〜

文武朝の頃に国家プロジェクトとして建立された大官大寺。現在ある寺の塔の中で最大を誇る東寺の五重塔よりも大きい九重塔をはじめ、当時の都であった藤原京の大極殿と同規模の金堂と講堂を備えていたといわれる。 大官大寺跡

廃寺探訪〜龍福寺〜

「大和三龍寺」の一つ真言宗・龍福寺。現在の奈良県天理市にあったとされる寺で明治期の廃仏毀釈により廃絶。かつては東西1,100m、南北660mという広大な領域に16の僧坊が配された大寺院だったという。ちなみに「大和三龍寺」のうち現在も存続しているのは…

幻の神武天皇陵と消された村

初代天皇とされる神武天皇の霊廟は右寄りの人から神聖なる皇祖の陵墓として崇められ、そして左寄りの人からも(負の遺産としての)「聖地」と見なされている。神武天皇陵の治定に際しては紆余曲折あり、現在でも天皇陵に関する書籍が出版されるたびにやり玉…