読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

中井シゲノが語る地元の伝承



ネットで調べていると、白高大神を建立したオダイ・中井シゲノの故郷は奈良の農村または山村で生まれたとされている。しかし、これだけではフィールドワークもできないので、彼女の一代記とも呼べる書籍『神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者』を丹念に読んでいくと、おぼろげながら場所の特定は可能。

神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者

神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者

上記の書籍の著者であるアンヌ・ブッシイは、「個人のプライバシーにかかわるので地名、人名はひかえている」として「奈良県生駒山の東の麓の農村」とだけ書き示しているが、

  • 村から現在ある滝寺の廃寺までの距離が八町(約900m)
  • 中井シゲノが村の伝承として奈良県大和郡山市にある東明寺や矢落神社(矢田坐久志玉比古神社)の縁起を述べていること

などから矢田丘陵の東、要は白高大神近辺、大和郡山市の北西部だと推察できる。ただ、中井シゲノが語る地元の伝承と現在伝わってる伝承とには奇妙な差異があり、その差異がいささか興味深い。

東明寺に関する伝承

オダイ・中井シゲノが聞き手のアンヌ・ブッシイに語った伝承は、正確に言うと滝寺(白高大神近くにある廃寺)についての伝承であるが、ついでという形で東明寺が登場する。伝承の要点はというと、

  • 天武天皇が眼病を患った皇子のために三笠山若草山)の行場で祈るも一向に効果が現れない
  • 観音像を彫らせ、夢のお告げに従い今度は現在滝寺がある近くの滝で祈る
  • 夢のお告げ通り滝寺の滝から龍王が現れお椀を賜り滝水を汲んで目薬とする
  • 龍王からの賜り物である目薬で皇子の眼病は完治
  • 天武天皇は目薬の御礼に観音像と滝寺、東明寺を建立
  • 東明寺には眼病が癒えた皇子が住み、滝寺にあった観音像と龍王からの賜物である目薬も現在は東明寺に保管されている

一方、現在もある東明寺のホームページに記されている縁起を見ると……

母、持統天皇が眼病に悩ませられし折、平癒を祈る子息、舎人親王の夢枕に老翁姿の白鬚明神が現れ、「霊山に登り霊井の水をすくいて母君の眼を洗うよう」にとのお告げと共に金鍋を授けられました。お告げに従い母の眼を洗いしところ、持統天皇の眼は治癒。これへの感謝として舎人親王の勅により、この地に寺が建てられました。

東明寺 [高野山真言宗 鍋蔵山 東明寺] 奈良県大和郡山市

神からの賜り物である器に水を入れ目薬とし眼病を治す、という肝心な部分は同じものの、微妙な登場人物の差異が見られる。おそらく、東明寺のすぐ南に位置する矢田寺の縁起と混在しているのではと思われる。

今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていました

矢田寺 歴史と由来


ただ、何気なく三笠山若草山)をdisっている、龍王とサルタヒコ系の白鬚明神との違いなど見過ごせない点もある。ちなみに滝寺の方は廃寺になって久しく、中井シゲノの幼少期には小さなお堂に僧が一人住み着いていただけとか。詳しい縁起などを記した資料も現在では皆無で、中井シゲノが語る伝承を滝寺方面から裏付けることは無理っぽい。

矢落神社に関する伝承

中井シゲノが語る矢落神社に関する伝承は以下の通り。

この矢落神社の正式名称は矢田坐久志玉比古神社。プロペラ備え付け楼門が有名。

その矢田坐久志玉比古神社の現在伝わっている縁起はというと、

祭神・櫛玉饒速日神が、天神から授けられた天羽々矢を、三本を射て、矢の落ちたところに住まいを定めたという。一の矢が落ちたところが現在の神社となり、よって、当社を「矢落大明神」とも呼ぶ。(あるいは、二の矢が落ちた場所が現在の神社になったとも)

矢田坐久志玉比古神社

古事記日本書紀で多少記述が違ってくるのだが、長髄彦饒速日神が近しい関係(姻戚関係)であったことは共通している。ただいくら近しい関係だからといって、天神・饒速日神が大和の土豪の長だと思われる長髄彦に置き換わっているというのはどうにも解せない(日本書紀では長髄彦饒速日神に殺されている)。


これらの正式に伝わっている伝承とは少しばかり違う伝承を話したのは、歴史からも、そして地元からも忘れ去られた神々を次々と掘り起こしていったオダイ・中井シゲノらしいといえば、らしいのだが。

画期的な論証か!それともただのトンデモ本か!?

なぜ、 饒速日命(にぎはやひのみこと)は長髄彦(ながすねひこ)を裏切ったのか

なぜ、 饒速日命(にぎはやひのみこと)は長髄彦(ながすねひこ)を裏切ったのか