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気になる人 増賀上人



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増賀上人行業記絵巻

神武天皇陵のことを調べていたら、国源寺つながりで多武峰寺(現・談山神社)を調べるようになり妙な人物へと行き着く。


その人物の名は増賀(917~1003)。増賀上人とも呼ばれた天台宗の高僧で、人付き合いやら名利やらに疲れ963年に多武峰に隠棲。

風狂の先達として西行,長明,兼好,芭蕉らに慕われている。

増賀(ゾウガ)とは - コトバンク

とあるが、突如出家して世間を賑わせた藤原高光の要請により多武峰に入ったとあり、増賀上人の師であり藤原高光を出家へと導いた延暦寺中興の祖・良源の影がチラホラ。

増賀上人入峰後、多武峰寺は伽藍を拡張し鎌足の霊廟を守る墓守の数も増大。延暦寺派として同じ藤原氏と縁のある興福寺と血みどろの抗争を繰り広げる。政治的な隠棲を匂わせる部分はあるものの、増賀上人の逸話はそれを打ち消して余りあるインパクトでして。

「この増賀をあえてお呼びになったのはいかなる訳でござろうの。ちと合点がいきませんぞ。ひょっとして私の逸物が大きいとお聞きになりましたか。確かに他の者に比べれば大きゅうござるが、若いうちはともかく、今では練り絹のようにくたくたでござるぞ。」

名利の捨て方 増賀聖人の場合

三条太皇太后の出家の戒師に召されたとき,儀式が終わるや,下痢でたえられないといって宮中の所かまわず汚物を落とした話

増賀(ゾウガ)とは - コトバンク

師であった良源僧正が、帝から与えられた栄誉のお礼言上の折り、増賀上人は先駆の数の中に入って、乾鮭(からざけ)というものを太刀(たち)にぶらさげ、やせこけて見苦しい雌牛に乗り、「屋形つきの牛車の先払いを致しましょう」といって、面白く牛の向きを再三変えて乗り回したので、見物者で怪訝(けげん)に思い驚かぬ者はなかった。

楽道庵ホームページ:禅と東洋の心 » 三人の遁世者達〔平等・千観・増賀〕

上記の逸話の真偽は不明ながら、西行,長明,兼好,芭蕉らの「洗練されすぎた」後進の風狂人とは違う破天荒っぷりは感じ取れる。そんな増賀上人の墓が多武峰にあるそうなので、今度フィールドワークに出かけようと思う。

追記記事

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