朧げな何か

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伊勢神宮を創祀したのは天武天皇?



最近、どっぷり神仏習合の世界にハマっているせいか、書店やamazon八幡神、稲荷、春日明神、牛頭天王などの文字列を見かけるとつい購入してしまう。

上記もその一冊なのだが、この本の伊勢神宮に関する記述を読んでいると荒唐無稽な想像が頭を過ぎった。

気になった記述

上記の『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』でどうにも引っかかったのが、

  • 766年7月、伊勢神宮に「大神宮寺」という神宮寺が造立されるも、772年8月には伊勢と大和の境に当たる山深き地・飯高郡渡良瀬山に移され、8年後にはさらに遠くに移された。
  • 鎌倉時代、東大寺再興に尽力した高僧・重源が夢で天照大神の託宣を受け、東大寺の仏僧集団が伊勢神宮を訪れるも、夜陰に紛れコソコソと外宮境内外から参拝。

少なくとも鎌倉時代前期頃まで、伊勢神宮においては仏教を遠ざけたいという力が働いていた。ちなみに大神宮寺が造立された766年といえば、あの道鏡が法王の位に就いた年。朝廷内を仏教が席巻していた頃。

天武天皇伊勢神宮

壬申の乱のとき、挙兵して伊勢に入った大海人皇子は、迹太川のほとりで天照大神を望拝した。具体的には伊勢神宮の方角を拝んだことを意味すると考えられている。即位後の天皇は、娘の大来皇女伊勢神宮に送り、斎王として仕えさせた

天武天皇 - Wikipedia

実質的な斎王制度を設けたのは天武天皇だといわれている。斎王制度が廃絶するのは南北朝時代伊勢神宮神仏習合が進むのも南北朝時代

天照大神という神を造りだしたのは天武天皇

伊勢地方で祀られていた太陽神を、天皇家が祀っていた神と合体させて天照大神としたという説である。これについてはタカミムスヒが旧来の皇祖神で、天武天皇がアマテラスに取り替えたという説もある。

天武天皇 - Wikipedia

かの説を唱える書籍には下記のものがあるらしいのだが未読。機会があれば読んでみたい。

アマテラスの誕生 (講談社学術文庫)

アマテラスの誕生 (講談社学術文庫)

崇神天皇天武天皇

実在性が見込める最初の天皇とされる第10代天皇崇神天皇だが。

そして伊勢神宮……

崇神天皇が疫病の流行を、天照大神倭大国魂神を宮中で並び祀っていたせいだとし、娘の豊鍬入姫に天照大神を託し、後に倭姫命が継いで各地を放浪し、垂仁天皇の治世に現在の伊勢神宮内宮に鎮座。

崇神天皇の業績は、多分に天武天皇の業績が流入しているのではないかとの妄想が頭を過る。つまり、石上神宮を現在地へ遷宮させ、龍田大社廣瀬大社を創建し、天照大神を宮中外へと祀らせたのは崇神天皇ではなく天武天皇だったと。そして妄想は空想の域へ。

天照大神と並び祀られたとされる倭大国魂神だが、これは仏教が興隆し蔑ろにされ激怒した皇祖神の負の一面、いわゆる祟り神。その祟り神である倭大国魂神を皇祖神から分離させ誕生したのが天照大神

天武天皇は、ますます仏教が興隆する大和の地で天照大神を祀っていては、また祟り神と化してしまうのではないかと考え遠く離れた伊勢の地でお祀りすることにしたのではないか。だが、そこにはすでに太陽神が祀られており神神習合が図られたのではないかと。

仏教から遠ざけるために伊勢の地で天照大神を祀っていたのだから、もちろん仏僧の立ち入りは憚られた(上記)。仏教に深く帰依した歴代天皇伊勢神宮を参拝しなかったのもこのせいではないか(持統天皇を除く)。

ただ、父・聖武天皇&道鏡の影響で仏教にご執心の称徳天皇が、伊勢神宮に神宮寺を建立するというハプニングが発生(上記 道鏡失脚、称徳天皇崩御後に神宮寺は遠方に移された)。

そう考えると、天武天皇は皇室というプライベート空間、物理的な面だけではあるが、最初に「神仏分離」を試みた為政者だともいえる。多分に政治的な兄・天智天皇とは違い、母・皇極天皇のスピリチュアルな面を引き継ぎ、神道・仏教・道教をそれぞれ篤く信奉した天武天皇

しかし、天武朝の頃には密教が正式に請来されておらず、「神仏習合」なるものも存在しなかったゆえに生じた苦肉の策だったのかもしれない。

こうした天武天皇の想いは南北朝時代にの頃には跡形もなく忘れ去られ、斎宮は廃絶、伊勢神宮の神官たちも仏教ことさら密教にすがり、天照大神大日如来や荼吉尼天と習合し、両部神道なるものもが誕生し神仏習合を加速させていくことになる。