朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

宮本常一が撮影した写真を評価する荒木経惟・森山大道の両氏



フィールドワークの途上、数多くの写真を撮影した民俗学者宮本常一。彼の撮影ポリシーは「芸術写真はいらない」「一枚のなかに物語が読める写真を撮る」だったという(民俗写真家・須藤功氏談 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』より)。

そんな宮本常一が撮影した写真に、アラーキーこと荒木経惟、現在も精力的に作品を発表している森山大道の大御所写真家両氏が賛辞を送っている(『宮本常一 写真・日記集成』に完全収録)。

荒木経惟

フレームなんて気にしてないし、構図だって気にしてない。出会ったときにポン、だろ。作家意識がない、写真にしようなんて思っていない、欲張りなとこがない、そこがいいんだね。

『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』

森山大道

宮本さんの民俗学の見地とかテーゼについて、僕はいろいろ言えないが、しかし写真をみれば、この人の生涯の総体を見れば、民俗学とは何かというようなことがわかる。つまり徹底して見るということ、徹底して歩くということ、もちろんそのなかで聞くということ。それが全体の感想だね。

『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』

日記でも写真でも、あの人の全体をみると、非常にファナチックですよね。時間が惜しくて惜しくて仕方なかったんじゃないかな。なんでも見たい、撮っておきたい、メモしておきたいというね。とんでもない人ですよね。

『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』



私は荒木・森山両氏の写真集なり著作なりを読み込んだわけではないので、エラそうなことは言えないが、何となく御二人が宮本常一の写真を絶賛するであろうなということは想像できたし、問題ではないと思う。

問題なのは御二人の宮本常一の写真の評価軸が真逆だということ。荒木氏は「欲がない」と言い、森山氏は「ファナチック」だと言う。

『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』を読む限りでは、森山氏の評が本質を突いているようにも思われるが、私はこの本に関し少なからず懐疑的なので、他の著者の本も探ってみたいと思った。

須藤功氏による 編集

写真でつづる宮本常一

写真でつづる宮本常一