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朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

この世は無数の写真で構成されている

写真


思春期に『徒然草』やら『平家物語』などを学ばされ、仏教的無常観を知らぬ間に刷り込まれている日本人にとって、パルメニデスに代表されるエレア派の哲学はなかなか受け入れ難いものがある。

「万物は流転する」と説いたヘラクレイトスに対し、それは感覚的なものであって「あるものはある、ないものはない」という理性に照らし合わせると、万物は変化もしないし「運動」というものも存在しない、と説くパルメニデス

僕などは、西洋哲学史の本をつらつらと何冊か読んでいて、最初に躓くのは決まってパルメニデスに代表されるエレア派の哲学。

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

頭の良い人ならすらすらと理解できるのだろうけど、僕のような感覚的なものを優先する人間かつ仏教的無常観に脳内をジャックされている人間にとっては、もう端っから頭に文章が入ってこない。

ところが、近頃NHK教育で放送されていた『モーガン・フリーマン 時空を超えて』の「“時間”は存在するのか?」の回で、ある学者がパルメニデスの哲学を「写真」を例にとって解説しているのを聞いてようやく得心。

www4.nhk.or.jp

曰く、写真は静止画なので写っている被写体はすべて止まっている(運動はしていない)。この世界はこのような無数の写真の連続によって構成されている。動いているように見えるのは、フィルム映画を見ているようにコマ送りされた静止画を見ているだけに過ぎないのだと。

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写真はパルメニデスの哲学と親和性があり「運動」というものを否定する。