朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

興福寺の栄華の跡を歩く



明治期に起こった廃仏毀釈の荒波に廃寺寸前まで追い込まれた興福寺。傍若無人っぷりが際立つ悪行が祟ったのか、カタストロフィー的な姿を現在にとどめていたのですが、今では金堂を再興するまでに寺勢を回復した様子。

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広大だった興福寺の境内

国道を挟んで興福寺の向かい側にある奈良県庁など奈良県の行政・司法の中枢機関が密集するエリアは、かつて興福寺の境内だった場所。中世以降、実質大和国を支配していた興福寺の境内跡に、今の奈良県を支配している?奈良県庁や県警本部があるというのも「御縁」なにかもしれない。

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春日大社摂社若宮神社

ライバル・比叡山延暦寺に負けないよう、春日大社との神仏習合を進め一体化までした興福寺。『神仏習合の本―本地垂迹の謎と中世の秘教世界』より、

藤原氏の長者は、長く興福寺僧徒の春日社参詣は認めなかった。それほど氏神祭祀の伝統が固持されてきたのだが、平安時代半ばの天暦元年(947)、春日社頭における法華八講の法会の厳修によって、社寺をへだてていたタブーが破られる。

以降、春日社の神木を掲げた興福寺僧徒の強訴が頻発。さらに興福寺春日大社との完全一体化を完遂させたのが、1135年に鎮座した若宮の存在。

今も続く奈良随一の大祭「春日若宮おん祭」は、興福寺大衆によって発願されたものらしく、神仏分離令により巻き起こった廃仏毀釈によって春日大社摂社となり「若宮神社」となった若宮だが、それ以前は春日大社を支配するための興福寺の出先機関的役割をはたしていた模様。

樹齢1800年ともいわれる若宮の大楠は、かつてこの参道を我が物顔で闊歩していた興福寺の僧侶たちを見ていたのだろうか。

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名勝・大乗院庭園

興福寺門跡寺院の一つ・大乗院の美麗な庭園を拝観。大乗院は現在の奈良ホテルや飛鳥小学校あたり一帯にあったらしく、廃仏毀釈の影響でこちらの庭園の覗き跡形もなく消滅。

穴場スポットらしく、連休中にも関わらず拝観していたの僕一人。まさに優雅な気持ちで一人庭園内を練り歩くことに。入園料も大人100円とお得。足利義政の名を受けた善阿弥・小四郎親子により作庭された。再現されたものとはいえ、往時の興福寺を偲ぶ貴重な場所の一つかと思われた。

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