朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

東大寺境内に唯一あるお墓?



東大寺大仏殿から戒壇院へと向かう途中、左手にかつて西塔があったと伝わる場所の近くに木々に覆われた小高い丘のような五百立山という山があるのだが、そこに有刺鉄線付きの金網で厳重に守られたお墓のようなものが。

f:id:karibusatanyu:20160727081818j:plain

f:id:karibusatanyu:20160727081820j:plain

f:id:karibusatanyu:20160727081819j:plain

東大寺に設置されているマップにも記載されていないこのお墓らしき場所、後陽成天皇の第十皇子・尊覚法親王と、後水尾天皇の第十六皇子・真敬法親王のお墓だそうです。何でも境内に在る「唯一のお墓」だとか(鉄道関係者や警察関係者の慰霊塔はのぞく)。

ちなみに後陽成天皇後水尾天皇は親子にあたりますが、仲は相当に悪かった模様。

尊覚法親王も真敬法親王wikiに記述はなく、少し調べたところによると、両親王ともに興福寺一乗院の門跡で、興福寺別当に地位にも就いていたお方のようだが、中世以降ライバル関係にあった東大寺の境内に埋葬されているのだろうかとの疑問が頭に浮かんでは消えていく。

どうやら三好三人衆&松永久秀に焼き討ちされた大仏を再興するにあたり、大仏開眼供養の導師を真敬法親王が務めたことが理由らしい。真敬法親王の師であったことから尊覚法親王もこの地に埋葬されたらしい。

貞享三年(一六八七)十八日の後光明院の三三年忌追善御八講が清涼殿で行われたとき惣證義として参じている。また貞享四年二月一六日に東大寺大仏殿前の大香炉を寄進され、また元禄五年(一六九二)三月八日より四月八日までの大仏開眼供養にあたっては、勧修寺済深法親王とともに供養導師をつとめている。宝永三年七月七日五八歳で入滅され、三菩提院と称され、東大寺真言院の西に葬むられた。

大仏を開眼した法親王 - 紀行歴史遊学

東大寺興福寺は中世以降、事あるごとに争ったいたようだが、織田信長豊臣秀吉の登場や、続く江戸幕府による寺社統制政策が巧みだったためか、両者の争いもやがては沈静化し真敬法親王も大仏再興には協力的だった様子。