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朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

中世の東大寺は「境内都市」だった



『寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民』という本の中で提示されている「境内都市」という存在。「門前町」なら聞いたこともあるのだが、「境内都市」というのはどうにもピンとこない。

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺院境内は聖地であり、私有地などになりえないはずである。中世ではこれが私的所有の対象となり、俗人の手に流失することもあった。

東大寺の境内と門前は、聖地空間ではなくなり、売買されそこで日常生活が営まれる世俗空間となった。僧侶というよりは生活者である人々が、入り混じって暮していた。

とのこと。東大寺の子院である楞伽院では油屋、金融の経営で莫大な富を築き、東大寺境内の土地を宅地化し、一つの宅地や家を分割して現在のアパートや団地のように利用して、老若男女貴賤関係なく多くの流民を受け入れたというのだから現代の都市そのもの。「無縁者」の受け入れ地であったといえる。

観光地化された寺社は趣がない、との意見もあるが、中世の雰囲気を漂わせているのは紛れもなく観光地化された寺社の方だった。

現在の東大寺南大門前

土産物屋さんや旅館などが立ち並んでいます。「境内都市」だった頃の名残が残っているような……

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現在の東大寺境内

南大門から大仏殿にかけての参道、二月堂方面は観光客で賑わっていたが、戒壇院方面はたくさんの鹿が暑さをしのいでいた。さすがに露天の土産物屋さん以外は「境内都市」だった頃の面影は微塵も感じられなかった。

だが、境内で縦横無尽にたむろする鹿たちを「人」に置き換えてみると、「境内都市」だった頃の東大寺の様子が窺えるような気もした。

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かつての境内都市を思わせる風景

戒壇院前の通りは閑静な住宅街が広がっていた。奈良の風景を丹念に撮影した写真家・入江泰吉の旧居もこの通りにある。

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中世には「上司」(現在は水門町)と呼ばれていた地で、下記のように宅地が売り渡された証文(売買契約書)が、ご丁寧に「東大寺印」という公印が9つも押されて残っているとか。後の時代に編纂されたものではない、リアルタイムで作成された文書というのが味わい深い。

  • 1161年 僧・印厳から俗人の美和気貞へ
  • 1163年 僧・林俊から俗人女性の平姉子へ


現在は随分寺域が狭くなった東大寺。より中世に現出していたであろう「境内都市」の姿を垣間見るには、正倉院の裏手あたりを散策するがよいのかもしれない。赤い線で囲まれたところが、かつての東大寺境内。

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