朧げな何か

無意識にアクセスしたいと歩き回る日々

特別な写真が普通の写真、普通の写真が特別な写真



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写真を撮り始めた頃、絶景写真が撮りたいと名所と呼ばれるような場所にも通ったが、絶景写真と呼ばれるものがいつしかネットで氾濫し僕の中では「特別な写真」が「普通の写真」に見えるようになった。お腹がいっぱいになれば神戸牛もただの肉塊でしかないように。

今では誰も撮らないような「普通の場所」を暇さえあれば撮っている。まだまだ普通の中の「特別な場所」、いわゆる「独自の視点」幻想に囚われているが、「普通の場所」を普通に撮れるよう、カメラを構えた時点でシャッターを切るようにしている。小細工をかます余計な構図にしないように。

だが、僕にとってはただの田園風景を撮影した「普通の写真」でも、大都市で生まれ育った人からすると特別な場所を写した「特別な写真」に見えるのかもしれない。そう考えると何が「特別な写真」で何が「普通の写真」なのか、ぐるぐるぐるぐる思考はまた巡りだし答えはでない。

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ところで、フルサイズカメラの中では軽くて小さい部類に入る(レンズも小型軽量の50mm単焦点レンズ)Nikon D600だけれども、別に動体撮影や連写した訳でもないのに一枚を撮り終えるとその場で一息どころか、二息も三息もつき僕自身がフリーズしてしまう。

重いカメラはやっぱり大変だ。